『罪と快 1巻 (デジタル版ヤングガンガンコミックス)』染谷ユウ

この漫画すき♥️ pic.twitter.com/UolJ7EEMUO
— Kanon🐈🐾 大阪M性感DIANA (@kanon_sakurai03) 2019年2月2日
盗撮癖のある高校1年生・峰寺善は、日々盗撮を繰り返していた…。ある日いつものように女生徒を盗撮しようとするが、逆に捕まり、その女生徒に脅迫されることに! 「盗撮をバラさない代わりに、私の言うことを聞きなさい」言われるままに女生徒に拘束されてしまう善……。その女生徒は、実は緊縛師だった……!! 緊縛女と盗撮男との縄が紡ぐ物語、第1巻!!
緊縛されたときの心の変化
試しに1巻だけ読んでみたんですけど、最初の感想がこれ。
この主人公、峰寺善は盗撮癖があるんですけど、それを緊縛師の女の子に見つかってしまうんですね。
それをネタに脅されて縛られる側になるという話しです。
峰寺は縛られることに反抗するんですけど、縛られているうちに自分の本性が出てきます。
峰寺の盗撮癖って親に勉強を押し付けられた挙句の捌け口からはじまったようなところがあって、峰寺自身が自分をそもそも自分のやりたい事をできていない、自分を表現できていないところからはじまる作品なんですね。
それを「緊縛」という縛られる行為によって、峰寺の本性が出てくるような描写がぼくはおもしろさを感じました。
自分が緊縛されたところを想像してみた
もし自分が緊縛されたらって想像してみたんですけど、この主人公のように自分が望まずに緊縛されたんだとしたら反抗すると思います。
弱みを握られて、縄で物理的に動けなくなっても、やっぱり無理やりというのは自分にはしっくりこないかなと。
ぼく自身、世間体とか気にするしこのサイトに書いてるようなことは一切リアルでは話しないんですね。
だからこの漫画と同じ状況になったら反抗するだろうなと思います。
でも、もし緊縛師の人を信用したりとか、自分から好んで縛ってもらったときだったら、自分の本心を出すかもしれません。
縛られるって自分の力では動けず、要は素の自分がそのまま出るってことですよね。
であれば、ぼく自身が他人にこう思われたいと思ってやっている自分を装うこともできないし、相手を信頼しているのであればそのままの自分を出すんじゃないかと。
縛られること自体の気持ちよさはやられたことがないから今のぼくには分からないけど、もし気持ちいいのであればそのまま緊縛師の前で気持ちよくなってる姿をさらけ出すと思います。
縄で行動ができないようにされているのであれば、行動することをあきらめて何もかも忘れて頭を空っぽにして、緊縛師にされるがままになる。
たぶん痛いのは苦手だから受け入れられないけど、いいなりになるのって自分で考えることをしなくていいから、相手の言うがままにされるがままにされると思います。
となると
っていうことになるんじゃないかなと思います。
自縛はしたことがあるけれども
以前『自縛自縛の私』という本を読んだとき、ロープを買って自縛自縛を試したことがあります。
確かに拘束される気持ちよさはあったけれども、緊縛師っていう他人に縛られるのとはまた感覚が違うんじゃないかなと。
SEXもするのとされるのとでは違いますよね。
となると、この漫画の主人公に本当の意味で感情移入するのであれば実際に縛られてみないと分からないんじゃないかなと思います。
緊縛に関しては知識もないし、知り合いもいないからちょっと調べて試してみようかな。
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この記事はかのんさんに教えてもらった『罪と快』っていう漫画の感想と、緊縛についてぼくが思ったことを書いています。
緊縛って自分の解放なのかもしれないです。
自分で動くことをやめることで本当の自分の本性が出てくるとでも言いますか。